おふくろと一緒にステレオを買いに行ったのは、当時の電気の殿堂「マツフジ電器」に他ならないのであった!
あたしの初コンポ導入の前に、そのマツフジ電器店のお話をしておかなくちゃね、、
あたしとラジオ無線仲間のM君とS君が、中学生当時(1970年代半ば)、は~は~言いながら通ったのは、マツフジ電器であったのでした。こちらの良くコメントをいただくtamaさんは、あたしよりちょっと先輩みたいなのだけど、当然、同店はご存知! なにしろ、熊本の昭和ラジオ・無線(オーディオ)少年にとって、マツフジ電器は、みんなのメッカなのでありました。
しかし、その当時は、なぜか熊本市に行くときは、中学の制服・制帽着用でした。別に私服でも良かっただろうけれど、みんなかちっとしてましたね(笑)。しかもみんな坊主頭だよっ(笑)。そんな時代だったのでしょうね、、
熊本市の中心街~銀座通(だったと思うけれど)。
そこに、あたしらのマツフジ電器はありました。(ネットであちこち探したのだけど、写真は残っていなかった)。
確か3階建ビルで、1階は、白物家電。
エスカレーターで2階に登ると、そこはおお! オーディオ製品の一色なのでありました。少し照明を落としてあって、コンポのメーターとかイルミネーションが輝きが際立つようにスペースづくりをしてあったなあ、、
エスカレーターを降りると、一面に各メーカーのコンポシステムがひしめいておる。
あたしら3人は、それらオーディオコンポに引き寄せられ、あっちのシステム、こっちのシステムをわたりあるき、無料カタログを集めました。
当時は、システムごとの音の違いなんてのは、全く分からなくて、みんなおんなじ音に聞こえたものだった(笑)。
2階奥は、ラジオとかラジカセコーナーではなかったか、、確かそこで、あたしのスカイセンサー5800を買ったのだった。
そしてさらに3階。2階まではエスカレーターがあったのだけど、3階へは階段だけだったと思います。
3階は、確か高級コンポ(だったと思います)。壁一面にカセットデッキ、アンプ、プレイヤー、チューナーが並べてあった。そうして正面には、スピーカー! それぞれナンバーを書いたカード付けられていて、試聴したいSPをセレクタで切り替えて聞かせてくれました。
当時スピーカーの音の違いなんてのは、全くわかりませんでした。
けれど、あたしらラジオ少年3人とっては、まさに天国、、、2階の半分はレコード売場。でも、当時はレコードは高くって、中学の頃はあんまり買わなかったなあ。
レコードを買うようになったのは、高校に入ってからでした。
そうして、3階奥には、電気パーツとアマチュア無線コーナーがありました。あたしら、無線少年であったので、ここで自作用のパーツを買ったり、よだれをたらして(笑)無線機を眺めたりしたものでした。
当時、アマチュア無線では、トリオと八重洲がダントツトップの無線機メーカーで、あたしは特にトリオのトランシーバーTS520がお気に入りでした。TSー520実機が展示してあって、ダイヤルを指で回す感覚が、ソフトかつスムーズで、うっとりしましたねえ、、、八重洲無線のFT101も無骨で良かった。何年か後に、S君がTSー520を買ったときは、うらやましかったなあ(笑)。今でも、この無線機ほし~な、、
(あたしらの当時のあこがれの無線機TSー520。今みてもなんと美しいデザイン! トリオは、その後、ケンウッドになって
今も無線機を作っています。トリオの創設者が、その後、アキュフェーズを作って、あたしがもっとも信頼するオーディオメーカーとなりました。トリオはすばらしかったなあ)
マツフジ電器は、それから数年間、熊本の電気の殿堂として地位を守っていました。
しかし、そのうち、すぐ隣にベスト電器が侵攻。ベ社としては、競合他社の狙いうち戦略だったのだろうなあ。こちらにもオーディオフロアができて、あたしらもマツフジに行った後で、ベスト電器で物色するという状況になったのでありました。
マツフジに週末言っては大興奮したり、深夜オールナイトニッポンを聞いては面白がったりしているうちに、あたしら3人も高校受験が近づき、それぞれ人生の方向を選択しなくてはならない時期になりました。前みたく一緒に街に遊びにいくことが少なくなってきました。そして、中3の冬ごろから生まれて初めての受験勉強にいそしんだのでした(笑)。
そうして、1977年(昭和52年)。3人ともめでたく中学を卒業。
S君は、趣味が昂じて無線技術専門の高専へ。あたしと、M君は地元の普通高校へ進学。
学校が別になったS君とは、それ以降たまに会うぐらいになって、同じ高校に行ったM君とは部活とかが違ったり、あたしがロックとギター、バンド活動にのめりこんでいったこともあって、前みたく一緒にあそぶことはなくなっていきました。
それぞれが、自分たちの道をあるきはじめた時期でしたね。
マツフジ電器は、その後、ゲーセン・カラオケに業態を変えて同じ場所に存続しておりました。20年ぐらい前かなあ、会社の同僚とカラオケに行ったのだけど、そのうち、郊外に場所を移して、、そのうち無くなっていました、、
さて、同じころ、マツフジ電器と同様、無線少年のもうひとつの殿堂に「有明無線」がありました。こちらは、アマチュア無線関係機器の専門店。中心街から離れたところにあって、なかなか頻繁に行けなかったけれど、いかにも無線機といった無骨な機器やらケーブル、
アンテナ、パーツがひしめいていて、あたしら無線少年には敷居が高い感じの大人のお店でした。でも、このお店で、あたしは、じ~ちゃんにトリオの受信機を買ってもらったのだった。
このお店ももうありません、、
しかし、70年代の半ばって本当に熊本のような地方でもオーディオ(アマチュア無線でさえ専門店が存在した)がビックビジネスだったことを、当時の様子を思い出して実感します。
もう40年以上も前のことになりました、、、ははは、、、