週末、サブシステムの調整をしながら、ひさしぶりに五味康祐先生の「オーディオ巡礼」文庫本を再読しておりました。
高校3年ぐらいだったか、大学に入学したころだったか、印刷期日を見ていると、昭和59年とありました。
そうかあ1984年、、あたしがまだ、22歳の頃っていうことでしたか、、
この文庫本を買って、帰宅するバスの中で、初めて読んだけれども、マッキントッシュ、マランツまでは、なんとなく聞いたことがあったけれど、玉アンプ、、オルトフォンSPUとかまったくなんだかわからん世界でした(笑)。でも、あのバスの中で、この文庫本よんでた景色は今も覚えてるんだよなあ、、34年前なんですねえ(苦笑)。
しかし、あれから何度よんでも、おもしろいですね。
今年で56歳なるあたしが、今読んでみると、五味先生が言ってることが大体わかって、おもしろい(笑)。
さて、この本の最後の方に
「良い機器は、特にSPは、良くものは良くなるほど、沈黙したくなるのだ。良い機器になるほど、音のない部分こそが機器の良否の重要なポイントだ」
のようなことを書いていられる、、
なるほど、、今だから、なんとなくわかる、、、五味先生は、たぶんSNの高さみたいなものについて言われているのだろうと思う。
たとえば、あたしが愛したアキュフェーズのプリ C-3800(地震後手放してしまってけれど)とかの、最近の機器のSN比の高さ、、沈黙さえ聞こえるのではないかと思わせるほどのSN、、それとか、今うちのメインとなったEARの玉アンプだって、SNは相当に良い、
五味先生は、80年に他界されたけれど、もう少し長生きされて、CDを聞かれたらどういう感想を持たれただろうか、、
さらに、昨今のハイレゾを聞かれたらどう思われただろうか、、
機器はもちろんだけど、音楽ソースそのもののSNも、昭和59年当時からすれば飛躍的に良くなっているから、五味先生は絶賛されただろうか、それともやはり苦言を呈されただろうか(笑)。
それにしても、今でさえ、C-22とかマランツ7とかヴィンテージが今でも最高なんだという方が身近に(道場の片山マスターとか)いるのだから、やっぱり、もし五味先生がご健在だとしても、ヴィンテージが良いといわれるのかなあ、、
もうひとつ面白かったのは、五味先生は、毎年年末、膨大な労力とお金をかけて、バイロイト音楽祭の放送を全てエアチェックされていたのだけど、ふと、なんで自分はそんなことをしているのだろうと自問自答された後、
「オーディオでもって自分の自画像を作っているのだ。その時の自分をエアチェックという行為によって刻印しているだ」
という結論に至るのでした、、
なんだかこれって、オディオ馬鹿一代のあたしにもあてはまると思ったな、、
どんな忙しくっても、つかれてても、オディオをいじりたくなります、、そうして、あれこれ置き場所を換えたり、ケーブルなんかを交換したり、Mバードでエアチェックしたり、音の変化に一喜一憂、、
そういうことのひとつひとつが、五味先生のいうように、そのときの自分を刻印しようとしているというか、音・オーディオで自画像を描いているというか、、、たしかにそんな気持ちがします、、、
こんなふうに、馬鹿ブログを飽きずにつづけているのも同様なんだなあ、、
五味先生は、惜しくも58歳で他界されたのでした、、あたしも後、2年で同じ歳になります、、
この文庫の最後の方に、
贅を尽くしたオディオであっても、しょせん生の音は出せない、であれば、自分の身の丈にあった機器で、自分の好きな音で、音楽を楽しむのが最善なのだ、、なにしろ素晴らしい音楽に出あうこと。そのことが最も大きなことなのだ、、
というようなことを書かれているのだけど、、まったくそうだなあと思います。
メインシステムの調整が大体終わって、自分なりに満足できる音の様子が出せるようになって、さて、これから何をしようか、、
まだまだ聞いてない良い音楽聞いたり、これま聞いた音楽をもういちど聞きかえしてみたり、、聞いてないオペラだって、シンフォニーだって、現代音楽だって、モーッアルトだって、まだ山のようにありますからねえ(笑)。
あたしも、この3月で56歳、、、