40数年前のこと、、
あたしがまだ小学校の高学年から中学1年までのこと、、
あたしは、ともかく星とか無線とかが大好きで、ほら、今50代半ばのみなさんでまだオディオやってる人は、みんな、こどものころは科学少年だったぢゃないですか、、、
小学5年ぐらいだったか、ともかくあたしは星にはまって、、ともかく夜になると理科の先生に貸してもらった星座早見盤とかをもって、星ばっかり見ておりました。学研の科学という雑誌に天体望遠鏡なんていう付録がついていて、は~は~いいながら買って作って星を見たけど、ほとんど見えずえらく落胆したのでした、、今思えば、粗悪品のプラスチックのレンズ、段ボールの鏡筒であってのだから、見えなくてあたり前だったのだけど、、
そんなあたしの天文熱狂ぶりを見ていた、じ~ちゃんが、ある日ほらと買ってきてくれたのが、日本工学の7X50の双眼鏡でした。ええっ、なんでえ! あたしは双眼鏡より天体望遠鏡がほしかったのだけど、実際使ってみると風景はもちろんだけど星も良く見えたので、星見の際はかならず付属の皮ひもで双眼鏡を首にかけて出動していました。
この前、実家のそうじをしていたら、この7X50の双眼鏡が出てきました。あらら、なつかしい、もうカビだらけで使えんだろなあと、ケースからとりだすと、いやいやまだまだ使えそう、、丁寧にレンズをティッシュできれいにふいて、、近所の風景をのぞいてみたら、いやあ、もう全く昔と変わらないぐらいきれいに見えます。夜、星を見てみたら、少しぼけるけれど、まあまあきれいに見える。
付属の皮ひもには何やら英語文字みたいなものが書いてある、、、なんだなんどとよく見てみると、あたしの名前がローマ字でマジックでしっかりかいてある、、そうだこれはじ~ちゃんが書いてくれたものだったのでした、、だいぶうすくなってきてるけれど、ちゃんとあたしの名前ですね。しかもローマ字、、かっくいい!
じ~ちゃんは、元海軍で、結構高い地位にいたらしいから、戦後は公職追放されて、結構苦労したらしいのだけど、、、孫が天文とか無線とかに興味を持っているのは、好ましく思っていたらしい。海軍では天文、無線、数学なんていうのは基本の基本だったみたいだから、孫がそういうことが好きなのはうれしかったのかもしれませんね。
そのうち、あたしはBCLにはまった!(このブログ見てる人はBCL知ってますよね)。このときも、じ~ちゃんにねだって、その当時みんながほしかったソニーのスカイセンサー5800を買ってもらったのだった。
当時熊本には、M電気っていう大型家電店があって、じ~ちゃんとバスに乗って、お店からスカイセンサーのはいった箱を抱えて、わくわくしながら帰宅したのだけど、、、ダイヤルがすぐに回らなくなってしまって、翌週末には、ひとりでお店にいったら、その場でズブ替えしてくれました。このラジオは、その後40数年経っても全く問題なく、今でもあたしの寝床で鳴っております。
このラジオはBCL少年のメカ魂をくすぐるもので、外部アンテナ接続もできて、BFOもついていました。
屋根の上に針金のアンテナを張り巡らせて、、海外放送を短波でよく聞いたし、 アマチュア無線のSSBとかCWもこのラジオではじめて聞いた、、このラジオが、当時の科学少年の世界というか宇宙をどれだけ広げてくれたか、、、今では考えられないですね(笑)。
今では、スマホで各国の放送がリアルタイムで高音質で聞けたり、あろうことかリアルタイムで画像も見られるようになって、、すごくいいのだけど、、、その頃の科学少年が持っていた「ロマン」は、今の少年たちは感じないんだろうなあ、、そもそもロマンっていう言葉の意味がわからないかもしれませんね(笑)。
じ~ちゃんは、この後も、さらにアマチュア無線専用の受信器も買ってくれて、それでもったあたしはさらに無線にのめりこんだのでした。
そうして、6年生の終わりには念願の天体望遠鏡=カートン光学の6センチ屈折望遠鏡を、じ~ちゃんは、中学入学記念ぢゃと買ってくれた。うれしかったなあ、、
その当時、中学生になったら男子はみんな坊主にならなくちゃなりませんでした。で、あたしも坊主になって中ボーになったのだけど、、厳冬の天体観測は、さすがに頭部が冷えました(笑)。
中学1年の寒い冬の日、じ~ちゃんは突然他界しました。
双眼鏡のつりひもに、マジックでしっかり書いてくれたじ~ちゃんの字を見てみて、、ああ、あたしは、こどもころしっかりたしかにじ~ちゃんに愛されていたんだなあと思いました、、50半ばになった今ごろそんなことがわかるんですねえ、、
じ~ちゃんの買ってくれたニコンの双眼鏡とスカイセンサーは、まだまだあたしと一緒です、、