このところ、朝夕はぐっと冷えてきて、お昼はあついぐらいの陽気になるのだけど、暗くなるともう肌寒いぐらいであります。
こうなると夕方の一杯もロックからそろそろお湯に切替かなあと思うのだけど、でもやっぱり氷を入れて飲むっていうのがなんとも粋な感じがして、切り替えがたく、そういうことだから最近は、うう~さむ~とかいいながら、まだまだしょちゅ~をロックでやっておるのです(笑)。
ただ、飲んでる訳ではなくて、Mバードのエアチエックファイルを聞きながらであります。
月曜の「オーディオ実験工房」はこれから、火曜日の「オーディオ歴史館」はリアルタイム(9時から)をたのしく聞いて、週末も一回聞く、
(鈴木さんとマエストロ村井)
水曜は「これだオーディオ術」。マエストロ村井が急逝される前の録音。長岡鉄尾推薦のディスクを改めて聞いてみようという特集。
武満徹の作品をお好きな方ならご存知、ノベンバーステップの琵琶演奏者 鶴田錦史氏の1枚ほとんど全てを放送、、 村井先生は、自分がおしゃべりするよりも作品そのものが語ると言われて、番組でもご自分のおしゃべりをいつもミニマムにされていたけれど、、今回の長岡ディスク特集では、極端に語りが少なく、、やっぱり疲れられてたのかなあなど、放送を聞きつつ思いました、、
「これだオーディオ術!」は1時間枠では足りないから、毎回2時間放送、いやいやPCM放送ののときは、4時間番組なんてもあったから、4時間枠とかで、音楽もお話もたっぷり聞かせてほしい。たとえば、年末第9聞き比べなんてこともやってほしいとかリクエストしたら、自分は全然大丈夫ですよ、、とのご返事。それぢゃ、あたしがMBに要望書を書きますからねと言ってたのですが、、間に合いませんでしたね、、
木曜の鈴木裕さんの「オーディオって音楽だ」は、村井先生の追悼特集①。ゲストにボーカリストに井筒香奈江さんを迎え、村井先生の思い出を、鈴木さんと一緒に語りました。井筒さんは、村井先生の奥様とも交流があり、いろいろなお話があったけれど、あたしも何回か奥さまとお会いしたことがあるけれど、おふたりの様子はそういう感じだったなあと思いだしました。
鈴木さんが面白いエピソードを語ってくれた。93年ごろ、、当時のステレオ誌の編集長の発案で、専業のオーディオライターではなくて、いわば2足のわらじをはいてオーディオについて書いていた「若手ライター3人」、、つまり村井先生(学校の先生)、鈴木さん(ラジオのディレクター)、伊佐資さん(SJ編集員)にいろいろやらせはじめて、現在に至るということだったのだけど、
そ~言えば、あたしも村井先生に、昔、ステレオ誌で若手3人ライターがくんづほぐれついろいろやってた頃が面白かったですねえと言ったものだったが、、、村井先生はそうだね~といつも苦笑してたけれど、、
井筒さんが、村井先生は、いい意味でマイペースな方だったといわれてたけれど、そういえばそうだったなあ、、東京オーディオスポットを自らご案内いただいたときも、あるお店で さあ、ゆっくり聞きましょうと、あたしが椅子に腰かけたら、、西野さん、さあ次行くよお、とさっさともうご自分はドアの外にいられる(笑)。そうして、何しろ、村井先生の歩くスピードの早いことといったらすごかった。あたしも、ゆっくり歩く方ではないけれど、普通の人の3倍ぐらいの速さなんです(笑)。む、村井せんせ~まってくださいよ~なんて言いながら、今聞いたばかりのFALのスピーカーの音はいいねえなんてお話しました。
それにしても、まったくの他人のあたしをオーディオの仲間だということだけで、自ら東京のオーディオスポットをご案内いただいたり、地元の仲間の皆さんにご紹介いただいたりと、、とても親切にしていただいた。もちろんあたしがはるばる熊本から来たっていうこともあったろうけれど、、そういうことを、あたしだけぢゃなくて、他のオディオ仲間にも実行されていたように思う。本当にやさしい方だったと思うし、、、やっぱり「先生」だったなあとも思います。オディオ・音楽はもちろん、その他いろいろなことを教えていただきました。ブログで間違った情報を書いたり、誤字などもメールでご指摘いただきました。本当によき「先生」でした。
井筒香奈江さんのCDも、西野さんこれいいよ~っと紹介してくれたのが村井先生でした。その場で購入、自宅で聞いてあまりに良いで、地元の音もだちにも紹介したら、皆さん気に入られました、、
井筒さんが、村井先生って、明治の人みたいだったと言われました。なるほど、、たしかにそんな感じの人でした。頑固で、一徹で、、一方、本当にやさしくて、、、なにより様子が明治の人みたいでしたと井筒さん、、、、なるほどさすがにミュージシャン、、すばらしいたとえだなあ感服しました(笑)。
村井先生は、どんなときも必ずスーツを着用。明るい色のネクタイをしめて、、、きりっとした様子でわたしたちに接してくれました。あたしみたいに、Tシャツにジーンズ、スリッパなんて恰好を見たことがない、、いつもびしっと格調の高い先生でした。
10月4日の夜、逝去されたのこと。亡くなる3日ほど前から具合が悪くなり、急遽入院、治療を受けたにもかかわらず、「急性白血病」で帰らぬ人となったと鈴木さんが伝えてくれました。
本当にあんなにお元気で、ついこの前までメールもいただいていたのに、村井先生がいないという実感がないと井筒さんが、ちょっと鼻声になっております、、こちらもちょっと、、感染しそう、、
村井先生っていっても、あたしは、ほんのちょっとしか歳が離れてない(4才下だけ)のだから、本当にこれから先何があるかわからない、、うじうじしてる暇はないよ、オディオでも何でもがんがんやるんだよ! と村井先生が言われているような気がする、、
さて週末です、、いい音で、いい音楽をたくさんきいて、、おおいに好きなことやろうぢゃないですかあ! あたしらの人生はつづく!