マエストロ村井から昨日頂いたコメントを読んで、なるほどなあととても納得した。 なにかと言えば村上春樹の最近の作品についてである。特に1Q89について、あたしが、まとまってないとか、かちっとしてないとか言ったのに対して、マエストロは、「それでいいのじゃないか。だって現実はそんなものでしょ」で書かれたのだけど、なるほど、本当にそれはそうだと思った。 そうして、そのことについて、ちょっと考えてたら、そしたら村上さんの最近の作品はとってもジャズに近いのではないかと思った。ある程度の方向性ができたら、後はアドリブで、(文学の場合は自動書記とでもいうのか)書いていくというのか、、もちろん推敲はされると思うのだけど、、 あたかもエリック・ドルフィーがジャズについて一度出現した音は、次の瞬間には消えてしまう、と語ったように。もちろん彼の演奏は記録されて、LPやCDになって、彼が死んだ後も多くの人に聞き続かれているのだけど。 そういう風に考えると、村上さんも文学でとってもジャズ的なアプローチをしているように見えてきた。もちろんみんな知っているように、村上さんはジャズが好きで、ジャズ喫茶を経営していたような人だから、文学にジャズ的な手法を導入するということをやっているのかもしれない。 なるほど、マエストロ村井が指摘されるように、文学や音楽にもあたしらは、きちんとした構成やかたちを知らぬ知らぬ間に求めすぎているのかもしれませんね。しかし、見よ!現実はいつもあたしらを裏切るではないか。いやいや、現実に意味を与えているのはあたしらではないか。現実という言葉さえあたしらの幻想ではないか。それなら、あたしらが読む文学だって、あたらしらがなんとなく持っている「幻想のかたち」をゆさぶる部分が重ねられていれば、あたしらの現実がベースレスだってことが分かるっていう寸法なのかもしれない。何を書いているのか分からなくなってきたけれど(笑)。 ああ、でも、そのなんとも分かりづらい現実=幻想の中で、しっかりしたものは、結局のところ男女というか、人間同志の「愛」しかないよと、ため息まじりに村上さんは読者に提示しているのかもしれない。 そんなことをマエストロのコメントから考えた、、、、
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村上さんとジャズ、、、
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