やすみの日は、オディオやってるか、自転車のおけいこしているか、なので、テレビを見るっていうことがあんまりないのだけど、大河ドラマ「いだてん」は毎回楽しみに観ているのであります。第一部の主人公だった金栗四十三さんが、近所のご出身ということもあるのだけど、内容もとても面白いからであります。
しかし、実は同じ日曜日、もうひとつ大河ドラマをやってるの知ってました? 2000年に放送された「葵三代」の再放送。朝6時からの再放送なのであります。実は、あたしは、放送当時、大河ドラマとか馬鹿にしてて見てなかったのだけど、歳をとるにつれて歴史ものが好きになったこともあって、今回、まあ、江戸幕府の話も悪くないなあと思って、時間があるときに見よっととかで、録画しておいたのでした。
で、見始めると「葵三代」。あたしが思った以上におもしろい、、当時の豪華絢爛ともいうべき出演者たち、、初めてハイビジョンでとられたという美しい映像、、そうしてなにしろ徳川家康からはじまる江戸幕府の創設から確立までの話が実におもしろい。
それに「葵三代」のテーマ音楽たるや、もうまさにラフマニノフみたいなロマンチックな哀愁ただよう絢爛な音楽であり、もうドラマ全体が異様に飾り立ててあるような様子で、これがまことに大河らしく、お金かけてることが伝わってきて、、迫力あります(笑)。
一方、「いだてん」は、巷でも言われているとおり、みんなが知ってる歴史的人物のお話を、タイムマシンみたく再現しましたというようなものではなくて、ほとんどの人は(あたしも含めて)知らない人でそのみなさんが、オリンピックっていう世界的なイベントとどうかかわってきたという、ちょっと「大河的なロマンチックな」方向とだいぶ違う仕立てになっていてね、大河という位置づけより、むしろ「オリンピックスペシャルドラマ」というのが良いのかもしれません。
「葵三代」に出てくる人たちは、おぼろげながらにも学校の歴史でおそわったような人たちであり、番組を見てると、あ~この人こういうことしたのかと、理解をあらたにしてしまいす。そういう人たちが、ドラマではあれ、精巧に画像の中で再現されているのは、実際はもうとっくに死んでいて存在しないのに、あたかも自分がタイムマシーンに乗って過去にトリップにしているようなこころ持ちにしてくれるではないですか。この不思議な時空を超えるタイムトリップ感が大河ドラマの魅力なのだとあたしは思うなあ。
ちょっと前の「真田丸」も大好きで、よく見てた大河ドラマなのだけど、このシリーズの面白さは、もうすでに存在しない人たちがあ「葵」と同様に再現されるのだけど、このドラマで面白かったのは、彼らの話す言葉が現代的=あたしたちの話し言葉=になっていて、逆にそのことで、タイムスリップ感覚がより強くなって、大河ドラマとしての独自の位置を築いたなあと思いました。三谷幸喜っていう作家はすごいなあと瞠目したものです。
大河ドラマっていうのは、ある意味「神話」を映像で見せるようなものだと思います。もう存在しないけれど、なにかこう日本人が普遍的に共有しているお話をどれだけ映像でリアルに再現するか、、タイムスリップ感覚をもたらすか、、わたしたちの「神話の再現」とでもいうのでしょうか、、、
一方、「いだてん」は大河ドラマがもつ「神話の再現」という要素がほとんど(というか全くない)ために、大河ドラマという位置づけが不適切なのだと思います。だって、いだてんに出てくる人たちは、ちょっと前までは存在していた人で、写真も記録も、映像も残っている人たちで、、なんというかあたしたちに直接つながっている方たちでした。一方、「葵」や「真田丸」の人たちは、わたしたちとは全く隔絶された人==「神」とっていもいいかもしれません==その人がたちが再現されるドラマというのは、やはり「いだてん」とは本質的な部分で異なっていると思います。「いだてん」のひとたちは、あたしたちと直接つながっている感があるけれど、「葵」のひとたちは、天空のどこかにいる、、
でも、「いだてん」が大河ドラマの範疇にあてはまるかどうかは置いておいても、このドラマは面白い! オリンピックっていうイベントを柱にぐるぐるかけまわる人たちのお話には感動してしまいます、、もしかしたら、宮藤官九郎という作家は、こういう大河の枠組をこわして、あたらしい大河ドラマへパラダイムシフトを意図していたのかもしれません、、、
とかなんとか愚行しながら、日曜は2つの大河ドラマを見るのも楽しみなんであります、、