あたしが、小学校の1年生のころの話だから、もう50年以上も前のこと、、
1967年から68年ごろのことです。
父が高校の教員をしていたので、あたしら家族も教員アパートみたいなところで生活していた。だから、同じ高校の先生家族が両隣に住んでいたという感じでした。毎日あそぶともだちもも、先生んちのこどもででありました。
なつかし~なあ、あのころ教員アパートの目の前に線路があって、ときどき蒸気機関車が走っていた。あたしら、男の子は、わくわくして、機関車が黒い煙を吐いていく姿を見てたなあ、、、
日立のカラーテレビ(キドカラー)の宣伝飛行船(還暦まじかの音もだちは、これが何かご存意だと思う)があたしらの頭上を、ぶ~んとのんびり飛んで行ったのもこのころ、、
日曜の7時には、ウルトラセブンをやっていた、、(今、4Kリマスターで日曜の朝、BSで再放送してる)。もちろん、うちはまだ白黒テレビだったよ(笑)。
さて、同じアパートに住んでいた父の同僚の一人が、今思えば、気合の入ったオーディオマニアで、、そこんちの男の子とあたしは、大の仲良しだった。ある日、その子のうちにお邪魔したら、彼のおとうさんが、なにやら、耳の部分におわんのついたような防止をかぶって、目をつぶって、うで組んで、、微動だにしない様子を見て、ともだちに、君のおとうさん何しているのときたら、ああ、あれはレコードを聞きよるとたい、とこともなげに言った。
れこーどをきく?っていうことが、6歳のあたしには、全く意味をなさなかったので、おとうさんにちかづいて、とんとんとひざをたたいて、おじさんなんしよると? と聞くと、、はっと目をあけたおとうさんが、あたしも見て、にこっとして、ああ、レコードば聞きよったとたいと答えてくれた。
なんだかわからんという感じのあたしを見て、かずまくんも聞いてみらんね、と、さっきのおわんつきの帽子を、ゆっくりかぶせてくれた。
そうすると、、おお! なにやら、きれいな音楽が耳もとで鳴るではないか、、クラッシックだったか、、何だったか忘れたけれど、あたしは、茫然としながら、その音・音楽を聞いた。ともだちと、そのおと~さんは、そんなあたしをみながら笑っていた。
それが、あたしがオディオと初めの出会いでありました。今思えば。
さて、ある日、あたしは、そのともだちの家におとまりすることになった。
で、おふろに、ともだちと、おと~さんと一緒にはいることになった。
入る前に、おと~さんが、かずま君、おふろで音楽聞こうねと、なにやら、居間に置いてある機械をカチャカチャやって、さて、みんなでざんぶり入ると、ふと、天井あたりから音楽が聞こえる、、 なんだろうとみてると、おじちゃんがね~おふろで聞けるようにしたんだよ~とにこにこしている。ご満悦である。こどもふたりは、はてな~という感じであったのだが、、
今、思い出してみれば、このおと~さんは、相当のオーディオマニアだったのだろうと思う。
こんな感じのオーディオセットであったような、、
アンプから、お風呂まで、電線を引っ張ってきて、スピーカを天井に釘かなんかで固定して、、おふろのときに音楽流してリラックスされてたんだろうなあ~。
そうして、うちの父も、このおと~さんに感化されたのどうかは知らないけれど、こんなちっちゃなステレオをもっていました。
日曜の朝になると、きまって、これでレコードを聞いていました。
うちの父は、帰宅すると着物に着替えて、リラックスしておりましたね。日曜の朝も、着物を着て、この小さなステレオの前に頭を垂れて、いっつも同じ音楽に聞き入ってました。
そういう光景と音楽を、ふとんの中であたしは、見聞きしていたものだから、、その父の後ろ姿と、その音楽を鮮明に覚えていたのでした。
父は、その後、間もなく他界してしまって、あたしも、大人の都合に巻き込まれてしまったけれど、
それから、ずいぶん経って、中学生になったころか、FMでモーッアルトの「夜想曲(アイネクライネ・ナハト・ムジーク)を聞いたとき、びっくりした!
だって、あのころ、父が、毎週末聞いていた音楽が、まさにそれだったのだから、、
そうして、実に細かいところまで覚えているもので、流れる音楽と、記憶の音がぴったり合います。全くこどもの記憶力とういのは、すごいものです、、、
1960年代後半(昭和40年代前半)って、オーディオが盛り上がりつつあるころだから、そのころ、ちょうど30代だった、父とか同僚のみなさんは、やっぱり当時のオーディオブームに多かれ少なかれ影響されたのでしょうね、、、
それにしても、父が、長生きしていたら、オディオやってたかしらん、、、ある程度の機器はそろえたかもしれないけれど、あたしみたいにマニアにはならなかっただろうな、そ~いう感じの人だったから(笑)。とは言え、あたしが7歳のときに他界したのだから、父がどういう人だったのかもはっきりわからないしな(笑)、、例えば、コーヒーが好きとか、好みの女の子は、どういう子とか、そんなことも一切わからないままであります(笑)。33歳で亡くなったから、自分でもいろんなことが不明のままだったのかもしれない、、
それにしても、とおいとおい昔のオディオにかかわる思い出ががあった、、
(このシリーズ続けます)