オーディオ道場の片山マスターは、仙人みたいな生活をしているので、村井先生ご逝去のことをお知らせしないとと、昨日午後、ひさしぶりに行ってきました。道場のある西原村は、先の地震で最も激烈な揺れに襲われたところで、今も復興工事が行われています。すこしづつですけれど、道も整備され、新しい家も建っております。だけれども、地震の傷跡はまだまだ、道場が近づくと、そこかしこにあらわです、、
地震前は、元剣道場の広大なホールで新旧・大小のスピーカーで音楽を鳴らしていたのだけど、最近平日はホールの横のアトリエカフェでお客さまをお迎えしています。昨日もホールはしまっていて、アトリエカフェがオープン。おひさしぶりですとカフェにはいると平日なのにお客様が5、6人いられて、マスターをかこんで楽しそうです。
お~ひっさしぶりたい! この前、電話したばってん出らんかってね~。元気だったと?
とマスター、、
僕は元気だったばってん、ここで講演会ばしてくれた村井先生が突然亡くなられたけん、片山さんに知らせんといかんと思って出てきました
と言うと、、
ほんとね、、とマスターは絶句、、その後、、、村井先生逝去について説明しました、、
あまりに早かね、、、かなしかね、、、
とマスターもぽつり、、
昨年のAMP-KUMAMOTOの発売にあたっては、ステレオ誌で紹介していただくなど、村井先生とはオーディオ道場もご縁は決して薄くなかったのでしたから、、
お葬式とかいくのかと聞かれたのだけど、すでにこの週末は予定がはいっていて、そうして東京はあまりにも遠いと言うと、、
そしたら、ここで追悼演奏会ばしようじゃなかね、、村井先生ば思い出しながら、、追悼の音楽会ばしよう、、
とマスター、、
そらよかですね、、村井先生よろこびますよ。僕らができる一番のご供養ですね、、
ということになりました。
平成23年 11月 オーディオ道場で講演中の村井先生)
その後は、オディオ好きのお客様と、本当に元気なうちに好きなことを、何がなんでもしておこうというおはなしになりました。
帰りしな、マスターが駐車場までおくってくれて、、
おれも来年は70になるたい、、、本当に元気なうちに、いい音楽ばたくさん聞かんといかんね、
とぽつり、、
先の地震の後、道場復興のためいろいろな活動をやりたいという話をしたら、村井先生も是非来熊して協力したいとお伝えいただいたのでしたが、なかなか実行できず、、村井先生の登場は永遠に果たせなくなりました、、
マスター、いよいよ、、またイベントばしましょう、、また音楽・オディオ仲間ばあつめて、ここでイベントばしましょう、、やれるときにやりましょう
と提案すると、
そうな、、、そうしょう、おれも来年は70ばい、、元気なうちにいろいろせんといかんね、、
そうしてマスターに手をふって、道場を後にしました、、
道場の仲間も村井先生のことを忘れることはありません。これからも、機会あるごとに村井先生のことを想い出して音楽を流します、、
さて、昨日も自宅サブ部屋でスターリングとL570で聞きました。昨日聞いたのはRシュトラウスの「四つの最後の歌」。
偶然にこのCDが目にはいったのだけど、、これを聞きながら、、村井先生のことを想い出します、、スターリングの音は、こじんまりながら、ピンポイントでシュワルッコフの声が定位して、澄んだ声が秋の夜に流れます、、
こういうふうに、オーディオを続けて、楽しんで、仲間とあれこれやるっていうことが村井先生の理想とされたことだと思います。そうでなければ、あれほど全国各地を駆け回り、その土地のオーディオ・音楽マニアとかかわってこられなかったのではないでしょうか?
さて、この記事以降は、いつものにっしの~のおとぼけスタイルにもどって、また、いろいろ書いていきます。あたしのメンターだった村井先生の分まで、というと実におこがましいけれど、これから先も音もだちのみなさんと楽しみたいと思います。
道場を訪問したのが昨日3時過ぎ、、小学生たちがランドセルをしょって、まだまだ地震の傷がある道を元気に下校していました。ああ、こんなに地震でやられたのに、こどもたちはしっかり日常を生きているのだ、、これこそが復興だなあと感じました。
村井先生とはもう会えないけれど、、音楽を通じて、いつでも思い出します。村井先生はよく言われました
「オーディオはいわばタイムマシンだ。過去がシステムをつうじてもう一度、今、再現されるのでから」。
オーディオで音楽を再生するときに、私は、村井先生も一緒に一聞いてくれているのだと思います。
村井先生とはもう会えないけれど、私たちの日常は続く、、オディオもお仕事も村井先生の分も人生をしっかり楽しみます、、
村井先生との思いでも、あちこち書いていきます、、