インフラノイズのアキュライザーの導入でデジタルの音が浄化されて、武満徹の音楽がはじめてよく分かるようになりました。だいぶ前の記事で武満の音楽をよく聞くためには、きわめてSNの高い機器で、しかもハイレゾで聞くのが良いではないかなんて書いたことがあるけれど、、DACU-500やUACU-700の登場でハイレゾでなくても、これらのアイテムを使うことでCDでも十分作曲家の作品の深いところがくみ取れるようになりました。ありがたい、、
そういうことで、最近は時間があれば武満の作品をあれこれ聞いては、う~んいいなあと感じ入っているのだけど、、、ちょっと驚いたのはこの2枚、、、どちらも管弦楽曲集のCDで、重複している曲もあります。
こちらは、過去に何回も紹介したことのある80年代録音のN響と岩木宏之さんが録れたもの、、
そして、こちらは山田和樹さんが東京フィルハーモニーと最近録音したもの、、
山田さんの録音はこの間入手したもので、実はエクストンの録音でSACDのハイブリッド盤、、DSDからダウンコンバートしたのかしらん、CDフォ-マットもものすごく音が良い、、SACDフォーマットは、パイオニアのPD-30とSATRIのヘッドフォン専用アンプで聞いてます。
さて、どちらのCDにも入れてあるのがチェロ協奏曲「オリオンとカシオペア」なんですが、、
もうこの2枚のCDでは演奏が全く違う、岩木盤は、この曲の世界初演ということもあって、緊張感がギリギリまで張り詰めた感じの、ちょっとすざまじい演奏で、聞いてるこちらも正座して聞かなくちゃみたいな感じなるのですが、、
一方、山田盤は、いい意味でとてもリラックスしてて、おだやかな演奏、、いや~こんな解釈がこの曲で可能だったとはとちょっとびっくり、、
岩木盤だと、本当に冬の星座が煌々とさんざめく、しんしんと冷える夜の音楽という様子なんだけど、、山田さんの演奏は、なんというか春の夜、、もうちょっと主役を交代しつつある、やさしく光る冬の星座という感じなんですねえ、、いやこれが、、
しかも、前者の音は、デジタル当初の音とて、ちょっと固めで、キリキリした感じなんだけど、後者は、ふんわりやわらかく、しかしとても美しく音につつまれるという感じの音、、いやあ、30数年を隔てると作品の解釈もこんなに変わるし、、録音技術も目覚ましく進歩したことが確実にわかりました。
山田盤のSACDフォーマットをヘッドフォン(HD-800)で聞くと、、上の感じはさらに強まって、極上の管弦楽の音に魅惑されます。一杯やっていい気持ちで聞くと、、いや~最高!
しかし、こうやって山田盤を聞いていると、武満の作品がすでに古典になったのだなあと思いました。ほらクラッシックって同じ曲でも指揮者や演奏家によって解釈が違うってところが面白いぢゃないですか、、ベートベンとかマーラーとかね、、武満ももうそういう作曲家と同様の位置づけになったのだなあと思いました、、すごいことだなあ、、
そうしてまた、またこの本を読んでます。
この本の内容からはかると、武満さんが目指していた音っていうのは、やはり同年齢というか音楽の戦友であった岩木さんの演奏の方がより自分の意図に近いものかもしれないと思います。でも、一方、武満さんは、この本の中でも音楽はまったく自由なんだっていうことも主張しています。
だから、もし存命であれば、山田さんのように、自分の作品がまるで春風のようにふんわりやわらかく演奏されるのも、にこにこして楽しまれたに違いないと思います。
ということで、あたしは、にこにこしながら山田盤を聞いてばかりいた週末でした、、