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Channel: 西野和馬のオーディオ西方浄土パート2
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遠い遠いオーディオの記憶③、、、壊れかけのラジオ、、

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そんなこんなで、父があっけなく他界したもので、あたしは、M市から母の実家(祖父のうちですね)に引っ越して、それ以降、ここに住むことになりました。ここは、100年ほど前の西南戦争の戦場となったところから、すぐ近くのところで、谷の底みたいなところで、国道3号線が目の前に通っていて、まあ、親戚でもいなければ、人は一生来ることはないだろうというような、なんでもないロケーションであったのでした。

 

祖父は、職業軍人であったので、戦後、公職追放を受けて、さてどうやって家族を食わせたら良いか試行錯誤した結果、お魚の行商をはじめて、それから食品・雑貨店を営むことになって、なんとか、生活を安定させることができた。海軍のいいところだった人が、自転車でお魚を売り歩いたというのだから、プライドも何もかなぐり捨てて、家族のために死ぬ気でがんばったということなんだと思います。

 

で、お店も順調に進んでいたのだけど、祖母が交通事故であっけなく亡くなってしまって、お店をたたんで近くに、家を建て、隠居生活を始めたころに、あたしと娘(あたしの母ね)がころがりこんだもんだから、まあ、よろこんでくれた。母の兄弟たちは、すでに独立していたから、祖父、母、あたしで3人の生活がはじまったのでした。

 

それが、1969年。あたしは小学校の2年生。

以前住んでいたM市は、ここよりずっと都会的なところで、1年のときに通ってた小学校もちょっと文化的な香りのする学校であって、男の子も女の子も、ごく普通に遊んでいたのだけど、今度の小学校は、いや~田舎丸出しの文化で、こどもなのに男尊女卑、言動も実に粗暴、、都会的な洗練されたこども社会に慣れていた、あたしにとっては、もうカルチャーショックでして、適応するには、自分もここの「ワイルドな行動パターン」にあわせる他なく、そのうち、クラス、1、2位をあらそう狂暴なガキ大将とみなされるようになったのでした(笑)。そんなガキ大将が、先生と折り合いが良いはずもなく、小学校は、あたしにとっては、いつ危険なことが起こるかわからない「ジャングル」みたいなところだったけれど、きらいぢゃなかった。図書館で本を読んだり、理科室で星座板や天体望遠鏡なんかをあつかうのが好きだった。

 

当時、母が朝、出勤の支度をするときラジオを聞いておりました。こんな感じ、、

 

そのころもでも、もう相当に古いもので、、玉のラジオ。あたしも、母いないとき、このラジオを使ったことがあったけれど、電源入れてもすぐにはつかない、、、そのうちブ~ンとか音がして、放送が聞こえてくるっていうものだった、、古い音だったけれど、ゆったりしたいい音だったと記憶しています。そのラジオもいつの間にかどこかへ行ってしまった、、

 

さて、そんなこんなで3人での生活も落ち着いて、カラーテレビも入って、万博も終わって、あたしも母があたしにおもちゃ的にくれたのが、半分壊れていたトランジスタラジオだった、、、 こんな感じ、、

電池でないと聞けないもので、たまに、音が消えるので、ぶるぶる本体を振ったり、たたいたりすると、また音がもどる(笑)というものだったのだけど、、あたしは、これで、生まれて初めてラジオ放送っていうのに出会ったのでした、、、

 

70年代前半の熊本では、ラジオは中波で、RKKとNHK1.2の3局しかなかったのではないだろうか。もしかするとFM放送なんでもあったかもしれないけれど、半分壊れた中波しか入らないラジオしかない小学生がFM放送のことなど知る由もなかった(笑)。

 

で、このラジオを夜、ふとんの中にもちこんで、放送聞いたものでした。

今でも覚えているのは、江戸川乱歩ラジオ劇場とかいうのもので、なにやらおどろおどろしい恐怖がうずまくお話であることは、小学生のあたしもでも分かったな。これは、毎晩やっていたので、楽しみでした。 

 

それと、洋楽! 生まれて初めて洋楽に出会ったのも、このラジオだった。

 

鮮明に覚えているのは、ギルバート・オサリバンの「ゲットバック」

 

夏の夜でした。当時は、部屋の中に蚊帳をつって、その中にふとんをしいて、母と寝てました(笑)。そのころは、夜になるとずいぶん涼しくなつていたので、窓を開けて、布団にねっころがって、いつものようにラジオをつけると、なんとも、気持ちがうきうきするような軽快な音楽、外国の男の人が、日本語ではない言葉で歌っているのだけど、ああ~いいなあと思いながら、窓の外を見ると、夏の星座、さそり座とかいて座とかがはっきり見えた、、、ああ、夏の星、、(星座早見盤が好きだったので、星座のことはそのころから知ってました)、、とか思いながら、その音楽を聞いた、、、 

 

ずいぶん後になって、その時聞いた音楽が、ギルバート・オサリバンの「ゲットバック」ってことが分かったのだけど、今でも、この曲を聞くと、その時の情景をはっきり思い出します。 

 

その他にも、ビートルズの「ゲットバック」、、そして、小学生なのに、なぜか大好きだったのが、KCアンドサンシャインバンドの「ザッッザ・ウェイ」でした! これはなにしろ、大好きで、この曲が流れると、体が動き出すような、、ん~ファンキーな少年だったのだなあ(笑)。

 

その後も、そのラジオで洋楽を聞いたな、、ちょうど寝る時間、、9時ごろから、当時、日本DJの草分けと言われた糸井五郎さんが、現役ばりばりでやっていた放送もよく聞きました。 あたしが好きだった洋楽は、糸井さんの番組で聞いたのか、、それは、もうわからないなあ。

「ゴゴゴー! イトイゴロー! ゴーズオン!」っていうのが糸井さんお決まりのオープニングコール。あたしも、すぐに覚えました。あたしが生まれて初めて覚えた英語のフレーズだな(笑)。糸井さんは、あたしが高校生ごろまで、現役バリバリで、深夜放送で音楽番組をやっていたから、小学生のころから高校まで10数年のお付き合いとなりました。

 

オーディオっていうのではないけれど、そういう、トランジスタラジオ、ふる~い玉のラジオが、あたしの少年時代の大事な思いでになっておりますねえ(笑)。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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