小学校も高学年にあがってくると、ちょっと好奇心旺盛になって、家の中にある、いろいろなものを触りだしたり、テレビとか新聞とかでみる女の人の裸の写真にぞわぞわしたりした(笑)。
そのころ、実家には、母の兄弟たちが置いていったいろいろな機械があった。その中に、ナショナルのテープレコーダーがあって、前から知っていたのだけど、5年生のある日、これ動くんだろうかと、おそるおそる、棚から取り出してみた。なんとリールテープとマイクもあったので、そちらもあわせて取り出した。
(うちにあったのは、まさしくこれ!)
あれこれやっているうちに、リールテープがうまく収まり、、マイクも接続することできました。
今思えば、なんで小学生にあんなことできたのかなあと思うのだけど、当時のテープレコーダーって写真を見ても、構造と操作が超シンプルで、小学生にもできるレベルで作ってあったってことなんでしょうね。
んでもって、マイク握って、録音してみたら(これもなんで小学生にできたんだと思うけれど、なぜかできたのでした)、なんと、実にうまく声が入って再生できたものだから、祖父に、こんなことできたば~いと聞かせたら、祖父がたまげて、これはすごか! 歌が録音できるのか?と聞くので、
う~ん大丈夫だと思うと答えると、 それなら、俺が今から何曲か歌ってみるけん、かずまあは、録音ばしてみなさい、ということになって、これがあたしの生まれてはじめての生録になったのでした(笑)。
そうして、祖父の歌う「戦前・戦後の歌謡メロディー」は、その後、数日にわたって、小学生と70歳越えのじいちゃんによって録音されたのでした。思いの他、クリアーにとれて、共同作業である録音をプレイバックして、こりはなかなかよかばい!とご満悦の二人であった、、、
それから、お気に入りの漫画番組の主題歌をテレビからマイクで録音したりして、テープレコーダーを学校にもっていってともだちや先生に聞かせたこともありました(その当時はラインで取るなんでことは、知る由もなかった)。なつかしいな、「海のトリトン」とか、、、
その、数年後、祖父は心臓の病気で亡くなったのだけど、お葬式の後、そういえば、じーちゃんの歌謡メロディーテープがあったと思って、棚を探してみたけれど、テープもレコーダーもすでになくなっていた。母や叔父たちは、ききたかったなあと残念がっていたけれど、今や、祖父の歌う戦前・戦後歌謡曲はあたしの思い出の中でしか再生されない。
さて、実家にあたしが戻ってきたころから、ここにはずっと、東芝のステレオがあった。
(こんな感じの東芝製。もちろんアンプは玉でした)
5年生ごろになると、こっちもなんとか使い方を覚えました。このセット、当時としては、以外と高級品だったみたいで、一体型でチューナーもAMはもちろん、FMステレオも受信できた。そういえば、その当時、庭にでかいアンテナが立ててあったけれど、これはきっとFM受信用に叔父が立てただろうけれど、いかんせん高さが全くたりなくて、これでFMは聞けなかった。
このステレオでは、もっぱら民放中波で、「RKKこども電話リクエスト」とかを聞いておりました。 このステレオは、エコー機能みたいなのがついていて、そいつを目いっぱいつかって、マンガの主題歌をわんわんする音で聞いていましたねえ(笑)。
さて、そのうち、近所の親戚のお兄ちゃんが高校入学祝にステレオ買ってもらったというので、聞きにこんか~というので、ある晩、部屋に入れてもらったら、こんなセットが置いてあった。
なつかし~、その当時は、ステレオと言えば、みんなこんな感じで、コンポなんて、もうちょっと後の話、、
んでもって、お兄ちゃんの手持ちのレコードを聞かせてもらった、、実はこのとき、夜だったのでスピーカーではなくて、ヘッドフォンで聞かせてもらった、、カーペンターズのベストアルバム、中村雅俊の「ふれあい」、そうしてビートルズのベスト「赤盤」。
もう、あまりの音の良さ! 生々しさに、あたしは大感動した! だってね、、頭の中に音楽があふれだすんだもの! この日からあたしのオディオ馬鹿がはじまったと言っても良いかもしれない(笑)。
帰宅して、あたしは、祖父と母に、ステレオがほし~ 今すぐほし~と訴えると、、二人は、なんば言うよると~、ステレオはもうあるたい!と一笑にふした。
いや、ばってんレコードが聞きたいとよ! とごねると、
うちのステレオもレコード聞けるたい。レコードも、ほら、あたしが前に買った、映画音楽全集があるけん、そればききなっせ~と母がいうので、それなら、試してみるけん、だめだったら、買ってね、4チャンネルば、兄ちゃんのようなのば、買ってね~とごねた(笑)。
さて、それから、この当時でも、もういい加減、ヴィンテージになりそうなステレオとのつきあいがはじまるのでした。
(つづく)
さて、