そのうち、安原さんは、自分の番組「ギンギンニューディスク」を持つことになって、金曜の夜、8時ごろから実に4時間の枠でしゃべりつづけることになったのでした、、
この番組は実に稀有な番組で、フランス文学者でありジャズ評論家である中条省平さんを定期ゲストにして、ジャズだけぢゃなくて政治、文学、その他いろいろにおよび、実に独特なインテレクチャルな破天荒な番組に進化していきました。
他の週には若手ジャズ評論家を定期ゲストにそれぞれが自腹を切っためったくそ新譜紹介もされていて、まさに、なんというか無茶苦茶でおもしろかった。
という訳で、この頃のあたしのたのしみは週末、安原さんが登場するプログラムを聞くこと、あわせて番組もエアチェックして外出する際に車で聞いたりして、実に楽しませいただきました。
同時期、安原さんも本をどんどん出していて、ファンのあたしも、どんどん買い求め、放送と本の両面からファン活動を
つづけました。
安原さんの番組にファンレターを書いたら中条さんが読んでくれて、数日後安原さんからサイン入自著を贈ってもらって感激したあまり熊本名物のお菓子を贈ったら、MBから電話が職場にかかってきて、なんか安原さんっていう人から電話ですよって同僚がいうので、だれだ~って出たら、
や・す・は・らで~すって放送の声そのままが受話器から出てきたので思わずのけぞったけれど、お菓子おいしかったよ~んというお礼の電話でありまして、もう大感激!
そんなこともあって、あたしの安原ファン熱はさらに上がっていったのだけど、安原さんの健康状態はだんだんと悪化していきました。
本当に残念だったのだけど2003年には肺がんで他界されてしましたました。亡くなる数カ月前まで番組に出演されていたのだけど、、、やはり晩年は呼吸がつらそうだったなあ。翌年は、うちのおふくろもなくなって、、なんだかかなしい時期でした、、
安原さんの番組は、田中いさしさんとかが引き継いで、しばらくやられていたのだけど、以前のような面白さはなくて、やはり番組はパーソナリティが命ということを痛感したのでした。
(田中さん)
寺島さんは他のゲストを招いて、さらに独自の境地を開拓していかれましたが、安原さんとの賭け合いのおもしろさを知っているあたしとしては、ちょっと物足りない感じがしました。
そんなこんなでCS-PCMは引き続き契約していたのだけど、放送自体をあんまり聞くことがなくなりました、、だんだんと中味が面白くなくなった感じがして、興味が薄れてき
たし、仕事もだんだん忙しなってきたし、この頃からいろんな機器をとっかえひっかえするようになって、そっちの方が面白くなっていったのでした。
そのうち、ネットラジオとかが一般的になって、あれれこっちの方がミュージックバードよりいいではないか、しかもただだしと思うようになり、、もういいやと契約を切ったのでした。
契約停止に至った理由を「ネットの方が面白いし無料なのと番組の内容が以前に比べ面白くないので」と書き添えたのでした。
そのうち、いろいろあってミュージックバードそのものが運用を停止したときき、ああ、やはりネットラジオの前にはかなわなかったのだなあと往時をしのんだものでした、、
NECのチューナーは今も事務所の倉庫に今も眠っていて、アンテナはリサイクルにだしのかなあ、、、
事務所のBGMもパイオニアのネットワークオーディオにして、もうお金を払って聞く放送は、もうNHKぐらいなあと思っていたこの数年でした、、
今回MBに加入したのだけど、加入するっていってもネットみたくふつうにだれでもというのでなくて、専用のチューナーとアンテナを購入するっていうハードルがあって、ここをクリアーしたところで、内容が面白くなかったらどうしょうかと、ちょっと不安でもあったのだけど、、
いやいやいやいや、、そんな不安や機器のハードルを軽く蹴り飛ばしてしまうぐらい、番組は面白い。
パーソナリティも前以上にディープな人が多くて実に良い! さらには、CS-PCMよりも音が良い。スペックはしらんが、以前の音には満足できなったが、今回の音は大変に良い! 機械的ではなくて、実に音楽的で、ゆったりとたのしめる高音質であります。
えらく長くなりました。
こんな経緯があってのあたしのMBライフなんであります。振り返ってみるとMBとの付き合いは実に長いのでした、、
そうして、これからまた長い付き合いが始まりました。MBの放送をきっけにして、新譜収集とかオディオ活動もまた一挙に火がつきそうな予感、、ふふふたのしみ、、 さあ、元気を出して、地震から復興だっ!
余震も大分おそまりましたよっ!
~ 完 ~