街での研修を終えた、夕方帰宅途中、NHKでFMにしました。
金曜日の午後は、なにやらオペラの番組をやっていて、その終わり近くを聞いたのでした、、
今日のメインはファン・ディゴ・フローレスとかいう、まだ40代のバリバリの若手テノール、、ロッシーニのミサ曲とか、シューベルトのアベマリアとか、ベッリーニのミサ曲とかを流してくれたのだけど、、
オケはボローニャ市立歌劇場楽団(ミケーレ・マリオッテイ指揮)。
(この人、なかなかいい男!)
最近、いよいよオペラを聞かないとまずいなあとか思っていたので、ハンドルを握りながらであったが、聞いてみた、、
なにしろ、このイタリア人の表現スタイルというか、、なんというかちょっとやりすぎじゃという感じとか、、独特の音の繰り返しとか、そうして、もう、これでもかってテノールがそれこそ超人的な声で歌うっていう、なんとも「誇張の極み的表現」になかなかなじめなくて
、しかし、それがなんでなんだろうな~とちょっと自問するときがありますのよ、、特にこういうイタリアバリバリの音楽を聞くとね、、
ヴェルディとか「レクイエム」とか何回も聞いたことがあるけれども、なかなかその音楽に入り込めない、、モーッアルトとは、すっといけるのにねえ(笑)。何なんだろうか?
でも、昨日、運転しながら、この若いテーノールの歌を聞きながらふと思ったのは、、 ああ「オペラは夢」なのだと、、夢を現実化しようとする方法なのだと、、
絶対あり得ない世界を音楽で表現する、
テノールの信じられないぐらいの高音は、それはもうすでに超人の現実化で、、
夢は存在しないけれども、実にリアル、、音楽は夢のようにリアルなんだけども、Eドルフィーが言うように、音が出た瞬間に永遠に消えてしまう、、
オペラは人間のはっかな~い夢(悪夢も含む)を音楽っていう材料で、作り出した、今でいうバーチャルリアリティみたいなものなのかもしれないと思った、、夢なんだから、スーパーテノールの超人もいなくちゃいけないし、スーパーソプラノの至高のお姫様だって配置しないといけないんだろうなあ、、
そう考えて、そういうスタンスでオペラに向き合ってみると、結構楽しめるぢゃないかと思った。そうすると、あのイタリアの人の苛烈なまでの音楽表現が納得できるかなあとも思った、、そうしてそのうち楽しめるのかもしれないと思った、、
相変わらずのたわごとでした、、
オペラ好きっていう音もだちは、どういうところがたのしいと思っていられるのだろうか、、そこにはやはり長い道のりがあったのだろうか、、